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そんじゃここまでだ、さよなら

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れかに贈りものをするということが、ずっと昔から苦手だ

 

誕生日になにかをもらうと焦る。もらった瞬間から、返すことにばかり気を取られてしまう。相手がわたしからのお返しを期待しているわけではないとわかっていても、それでもどうしようと思ってしまう。わたしも何か、これに見合ったものを相手にかえさなければ。ずっとそういうプレッシャーにやられてしまうから、わたしは贈りものをするという文化が苦手だった。

今はいただいたものは素直に受けとれるし、こころからありがたいと思う。返さなきゃいけないという圧迫感に襲われることもほとんどない。何度もわたしに贈りものをしてくれる人には、こちらからもちゃんとそれなりのものをお返しできるくらいには大人になったと思いたい。

 

だけどどうしても、自分からだれかに何かを贈るということが苦手でしかたない。

わたしのあげたものをよろこんで受け取ってくれなかったらどうしようとか、気に入らなかったらどうしようとか、そういうことではなくて、ただ、なにを贈ったらいいのかわからない。的確なものをえらべない。わたしのまわりにいる女の子はとてもおしゃれなものをくれる。彼女たちにはセンスがあるのか、もしくはわたしにセンスがないのか。わからない

だから、わたしはだれかに贈りものをする機会(誕生日とか)には、いつもちょっと値の張るおいしいレストランに連れて行って、ふだんなら避けて通るようなちょっと背伸びしたコース料理をごちそうする。お誕生日の友人には、その日限定のちょっとしたプリンセスになってもらう。あるときには待ち合わせてすぐにチケットを渡してそのままディズニーシーに行ったり、またあるときには夜景のきれいなスカイツリーの31階のレストランでフレンチのコース料理を食べたり、またあるときにはディズニーシーの帰りにミラコスタに寄ってビュッフェを楽しんだり。空間や雰囲気やその「時間」にお金をはらう。その方が、あとに残らなくていい。でも、その子の日記にはきっと残る。

 

ほんとうは大きな大きな花束を贈りたい。生花がいい。ずっと半永久的に生まれたままのかたちを残せる造花やプリザーブドフラワーは、絶対に自分のことをわすれてほしくない人に贈る。生きている花は絶対に枯れるから。どんなに水をあげて肥料を与えて大切に大切にしていても、そのときがくれば必ず枯れてしまうから。その人の中で、わたしは永遠になってはいけない。永遠になりたくないから生きている花束を贈る。時間が経てば消えるものを贈りたい。一定の時間が経ったら消える贈りものとともに、わたしも、だれかの記憶の奥深くに眠りたい。日記を読んだときに思い出せるくらいの、小さな面影になって眠っていたい。

 

かたちに残るものをあげたいひとの気持ちももちろんわかる。それはそれで愛だし、きっと真実なのだろうけれど、でもかたちに残ってしまったらわたしはきっとその人の永遠の面影になってしまうから、絶対に手もとに残らないものがいい。

たぶん、いつか終わるということが大前提にある。終わらないものなんてひとつもない。あなたもわたしもあの子もあいつも憧れのあの人もぜんぶ、仮に生きているうちに終わらなくても、呼吸はいずれ止まるし、わたしたちは必ず離れ離れになる。

 

花束をあげるということはあまりにも重たすぎる。人間の腕は2本しかなくて、だから、だれかのきもちが咲き誇った花束を抱えるには、あまりにも頼りなさすぎる。お葬式のときにその人の2本の腕では抱えきれないほどの花を棺に入れるのは、生きていたものが死んでいつかは消えていくということを暗示しているからなのかもしれない。人間はいつか死ぬ、離れ離れになる、消える、ということを、見ないふりして生きている生きものだから、人間よりも小さく美しい存在がそれをずっと教えてくれているのかもしれない。お葬式の時におくられる百合の花の匂いがものすごくきついのは、きっとそのせいだ。人間から人間への、最期の贈りものなのかもしれない。

 

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花を贈りたい。ずっと。すきな人にも、そんなにすきじゃない人にも。だれにでも平等に花を贈りたい。何色が似合うだろうと考える時間がすき。どんな花ならよろこんでくれるだろうと考える時間がすき。花言葉を調べるのもいい。お花やさんにおまかせするのもいいけど、自分でひとつひとつ花を選ぶのもいい。選んだ花がひとつの大きな花束になったときの、思わずため息をつきたくなるような色の暴力がすき。相手が大きな花束を受けとってその花の匂いを嗅いだときの無防備な表情を、ありがとうとまるで花みたいな顔で笑ってくれるその瞬間を、なんの疑いもなく想像している自分のことが、もしかしたらすごくすきなのかもしれない。だけどそれはきっとだれかのためじゃなくて、だれかの祝福のためでもなくて、その花が枯れるまではわたしをあなたの記憶の中に残していてほしいという、ただのわがまま。