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そんじゃここまでだ、さよなら

section-26

い終わって止まったばかりの洗濯機から自分の目的のものが偶然発見されるみたいな小さな奇跡をずっと待ってる気がする‬。これが白馬の王子様思想というやつかもしれない。そんな奇跡なかなか起きないよな〜っておもってるときに限って簡単に見つかったりするから人生は理不尽だなと思う


‪交換ノートを買ったのにめくられるページみたいなどうでもいい日常を交換したいと思える人間がいなかったのでずっと泣いている。わたしではなく、リビングの机の上に置かれたままになっている交換ノートが‬


‪みのりちゃんって自分のあたまがおかしいってこと全然わかってないからすき!って言われたけど、それって褒め言葉なの?その子の横にいた女の子も「あーわかる」とか言ってたけど、今なにがわかったの?もしかしてずっとこんなかんじなの?冗談でしょ うそでしょ やめてよ。まともに生きてきたつもりなんだよわたしだって、あはは


ところでみなさん‪このまえのクリスマスはいかがお過ごしでしたか。わたしは腐ってもクリスチャンなのにバイトを詰め込まれたのでかなりふてくされていました。キリスト教のイベントの中でいちばんすきなのがクリスマスなのに。クリスマスの讃美歌がいちばんすきなのに。

イエス・キリストが生まれたとされる24日から25日にかけての真夜中はアホみたいに歌をうたいながら地元の静かな道を歩いていました。ベツレヘムでは東方の博士たちが黄金と没薬と乳香をもって産まれたばかりのイエス・キリストを訪ねていたというのに。聖なる夜ってなんやねんと思ったけど、讃美歌もいちおう歌いました。東方の博士たちは三人だったけど、わたしはひとりで。

25日は22時ころにバイトが終わって、そのまま電車に乗ってイルミネーションを見に行きました。イルミネーションって冬がもってる「死」みたいな暗くて重たいイメージをどうにか明るく照らすことで誤魔化しているのかなとずっとおもっています。もちろんひとりでいったよ。やっぱりカップルが多かったけどあんまり気にならなかった。わたしはわたしと付き合っているので。わたしをしあわせにすると決めたので。負け惜しみ?あ?なんとでも言え‬。

みなさんは何をされていたでしょう?チキンは食べましたか?サンタクロースは来ましたか?プレゼントはもらいましたか?ケーキ食べた?え?なに?いいなあ


‪サザンのサブスク解禁により『慕情』『素敵な夢を叶えましょう』『白い恋人達』『祭りのあと』ばかり聴いている。

プレイリストを見られるのと本棚を見られるのはわたしの頭の中をかっぴらいて覗かれたり思考を読まれたり感受性みたいなものを丸ごと相手にぶん投げているのと同じことのように感じる。けど、ひとりでめっちゃかっこつけながら歩いているときは宮川愛李『欠落カレンドラ』を耳が壊れるほどの音量で聴く。ライブの帰り道はかならずあいみょん『空の青さを知る人よ』。おふろに入っているときは米津玄師『サンタマリア』。人間と人間はわかりあえないので一枚の硝子で隔てられていることを実感しながら髪の毛を洗う‬。さまざまなしあわせを砕いて祈り疲れ、ようやくあなたに会えたのだから!


べろべろに‪酔っていたとき同じくべろべろに酔っていたともだちに勝手に登録されたマッチングアプリからめっちゃメールが来ていてうざかったので何件かチェックしてみると「あなたのプロフィールにいいね!が届きました」みたいな意味のわからないやつだった。プロフィールになにを書いたか忘れたので確認したら『わたしみたいな人間を選ぶ人は自分が棚の奥に入れっぱなしになっているお気に入りのお洋服くらいのレベルにいると自覚してください』って書いてあった。なるほど、頭がおかしい。わたしがそう言ったのか?ともだちかな。いや、これのどこがいいねなの?みんな棚の奥のお洋服なの?自覚あり?顔写真もなければろくなプロフィールも入れていないのに。世界が信じられない。おそろしくなってそっと退会した。さよなら。恋愛。‬さよなら、お洋服たち。

 

オールナイトニッポンからの脱出にめっちゃ行っている。3回くらい行った気がする。ふだんあまり脱出ゲームとかしないけど、いろんな脱出ゲームがあっておもしろかった。オールナイトニッポン以外わたしはほとんどカカシだったんだけど、ペアになった幼馴染は製作者側なのかとおもうほどスラスラ解いていた。なんなんだよとおもったけど確かにやつは小学生のころから賢かった。ずっと見透かされている気がしてた。なるほど。わたしはこんなところに感情まかせに文字を書き殴ることでしか存在を証明できない人間から脱出したい。あと天然パーマも。性別という枠組みも。人間という下等生物も。さよならしたい。脱出ゲームだれかつくってくれ

 

さいきんコンタクトレンズをつくったんだけど、度数がギリギリで、いつも使っているめがねよりも2度くらい低い。コンタクトをつけると世界がぼんやりしていて、上手く輪郭がつかめない。見えにくくてストレス溜まるし、目にも頭にも負担はかかっているんだけど、なんとなく、自分はこのぼやけた世界でずっと生きてきたのではないかという気になってしまってやめられない。わたしは空の青さも知らないし、人の輪郭もわからない。距離感も掴めない。

でもコンタクトはしない。滅多にしない。メガネをつけたときの3倍くらい目が大きくなるけどしない。単純に見えなくて距離感も掴めないからこわいし危ないというのもあるけど、20年近くずっとメガネをかけて生きてきた自分のアイデンティティを喪失してしまうような気がする。メガネをしていないとなんとなくこころもとない。重たくて鼻も耳も痛いのに、それはわたしの人生になくてはならないものなんだとおもった。は?きも。メガネくらいで。って言われると思うけど、たぶん急に鼻を取り替えるみたいなかんじだとおもう。このたとえこそきもかった。出直します。どこから?

 

あー もう年末だ。また今年もなににもなれず、なににも染まることがないまま一年が終わってしまうなあ。それでいいんだけど。もうすぐおばあちゃんの命日がくる。寂しがりな祖母はみんながわすれないように元旦に亡くなったので、まんまとその魂胆に乗ってあげることにする。

 

こんな文章を最後まで読んでくださった方はきっとわたしの大切な人・もしくはめちゃくちゃ変な人なので、来たる2020年があなたにとって陽だまりみたいにあたたかいものであるようにお祈りしています。ずっとあなたが変でいてくださることを祈ります。それでは良いお年をお迎えください。最後丁寧すぎるけど笑わないでください。