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そんじゃここまでだ、さよなら

section-34

ようやく病院に行く時間がとれたので、喘息の薬をもらってきた。今、胸に貼っている薬のおかげで気管支が広げられていて、すごく呼吸が楽だ。飲み薬のおかげで咳もすこし治まっている。ついでにさっきお風呂でアホみたいに大きな声でいろんな歌をうたってきたので、わたしの心は万人に開かれていると言っていい。全開。めっちゃ換気されている。そんなフィーバー状態でこの記事を書いている。したがって今から書くこの記事は最低最悪な言葉の羅列かもしれない。この記事を開いてここまで読んでくださっているのはとてもありがたいしうれしいのだけど、ここから先は自己責任でお願いしたい。お願いします。嫌なひとはそっとブラウザを閉じて、なにごともなかったかのように手洗いうがいをしてね。そしてこの先も読んでくださる方は、わたしが今から書くことについて、他人の人生の破片を見ただけの薄っぺらい人間があーだこーだ言っているだけなんだ、ばかだなあと思ってほしい。お願いします

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日曜の深夜に番組を見終わってから、いろんなひとのいろんなツイートを見た。いろんなひとのいろんな言葉を吸収した。もちろん良いも悪いもぜんぶ読んだ。正直他人がどうやってひとを評価しているかなんてどうだっていいから毎回検索したり調べたりすることはない。だけど今回はこれを見たひとがどんな反応をしているのか見てみようという気になって、(ぜんぶじゃないけど)その日の深夜3時頃までにツイートされていたものはたぶんほとんど見た。だけどそれは「批判されてる!やだ!許せない!」とか「こんなに好意的に受け止めてくれてる人がいる!やっほう」とかじゃなくて、他人が他人の人生をどんな角度で受け止めているのかを知りたかったからだ。顔見知りでもない他人の人生の破片を取りあげてこんなふうに言うのは自分でもどうかと思うが、そういう「ひとつの人生を見た」あとの人間の感想を読んでいくのがすごく楽しかった。

その中に小宮さんとその人生のことをボロクソ言っているツイートがあって、それを見つけた時はまあちょっとさすがに「は?」と思わざるをえなかった。小宮さんが批判されたからとか、ひどいことを言われているからとかじゃなくて、他人が経験したものとまったく同じ痛みを経験することなど完全に不可能であるということを忘れているひとがまだ蔓延っているのかと思ったから。愚かすぎる。

自分以外のだれかの痛みを完全に理解することなんて不可能だ。似たようなことを経験したからといって完全に全部わかったわけではないということを忘れている。たとえ理解できているように思えても、それは自分の経験した痛みを反芻して、照らし合わせたうえで(勝手に)想像しているだけに過ぎない。自分の中にカテゴライズされていない知らない痛みであるというだけで当たり前のように批判するな。他人の人生の重みや痛みや苦労をバカにするひとは、自分の人生経験の薄さや痛みへの鈍感さ、共感性の低さをすべて露呈しているのと同じだということを自覚したほうがいい。あと、批判するなら本人の目につかないように批判してほしい。だれに対しても悪口を面と向かって言えないなら、顔を隠しながら言う資格なんてひとつもない。陰口を言うな、ださいから。人間だれしも自分以外のだれかの人生にとっては「部外者」なんだから

とまあ批判と文句はここらにしてちょっとだけわたしも他人の人生を語りたい

記者の人が「お母さんが亡くなったときはショックでしたか」という質問をしていたとき、そういう固定概念に嵌らずに生きてきたせいで苦しかったこと、きっとあっただろうなと思った。一般的には親の死というのは発達段階の中でも重要なできごととして捉えられていると思う。だけどもちろんその枠の中に当てはまらないひとだっているわけで、小宮さんもきっとそうだった。親が死んでも寂しくない、悲しくないというのは、決して小宮さんが冷たいからでも、愛がないからでもない。もともと母親という存在が愛着対象ではないひとには難しいのだ。肉親が亡くなったのだから悲しいのは当たり前だ、さあ悲しめという風潮があったことを呪うべきだと思う。「親が死んだら悲しいものだ」という世間が作り上げた固定観念みたいなものに苦しめられたことが少なからずあるんだろうなと思う。わたしの勝手な憶測、推測、予想、想定でしかないけど。

あとこれは、心理学をたった4年かじっただけの人間(しかも大学院受験に落ちている!カス!)が簡単に言及してはいけないことなのかもしれないけれど、小宮さんって母親との関係があまり良くなかったから女遊びをするのかなと思った。若いころに母親を亡くしているというのは大きい気がする。母親を求めているとか母性がどうのこうのとかそういうんじゃなくて、ただ、自分を認めてくれる女のひとの存在がほしいのかなっていう。純粋に性欲が強いんだろうと言われたらそれもそうなんだけど、女性不信(本人談)なのになんで女のひととたくさん遊ぶの?と考えたときに、それはそれで一種の反動形成なのかな?と思った。女のひとが苦手だ、女のひとが怖いという感情と反対のことをすることで心の均衡を保つみたいな。ある意味、一種の復讐みたいでいいよね、わたしそういうの嫌いじゃない(うるさい)(散れ)

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ときどき近くで顔を見たとき、1対1になったとき(出待ちとかで)、決まって瞳が揺れているのが印象的なひとだと思っていて、それって何をあらわしているんだろうなとずっと考えていたけれど、相手方に自分に対する敵意があるかどうかなのかもしれないな、と番組を見て思った。悲しい、痛い経験をたくさんしたひとは自分の手の届かないところで人格形成を強制的に歪められているので、他人を見る目も多少なりとも歪んでしまっているのだろうな、と。でも小宮さんは性悪説に傾き切ることができなかった感じ。というよりめちゃくちゃ性善説を信じている気がする。なのに他人から向けられるのは悪意や敵意だから、人間不信にもなるよな。だから性善説のかたまりみたいな相田さんのそばにいるのかなと思ってしまった。今、あなたの味方はたくさんいるのにね

もしわたしが普通にともだちとして小宮さんに出会って、めちゃくちゃがんばって打ち解けて、いつかインタビューで話していたようなことを聞かせてもらうときが来たとしたら、例えばその場所が居酒屋でも、おしゃれなバーでも、カラオケでも、ファミレスでも、夜の公園でも、東京タワーの展望台でも、南極でも、どこかのホテルの一室でも、たったひとこと、おまえよく生きてきたな、って言っただろうと思う。きれいに咲こうとしていただけなのに何度も踏まれた花みたいだ。やっとの思いで枝から離れて舞い落ちただけなのに簡単に握りつぶされた桜みたいだ。だけど花ってまた咲くし、桜も春が来ればまた咲く。何事もなかったかのように舞う。それに似ている

ずっと思っていることだけど、小宮さんって全然ひねくれていない。むしろ、他人から与えられた言葉や表現をまっすぐ受け止めすぎるからその中にある矛盾とか嘘とか理不尽を無視できなくて、だれもが気にしないようにしている部分とか見ないように目を背けている部分とかをズバッと言い当ててしまうんじゃないかと思う。真っ白なものを真っ白なままで返しているから、なんか色をつけろよって言われちゃうんだろうな。本来ならそれが普通なのに、大人の生きている社会では真っ白なものを少し汚したり自分の色をつけたりして相手にパスするのが普通だから、それをせずに真っ白なまま返してくるなんてみんなと違うね、ってなってしまうんだと思う。まだ大人3年目だけど

ちゃんと生きていこうとする人間をなんとかして摘もうとする人間なんて死ぬほどいる。生き方に正解がないのも、死に方に正解がないのも、ぜんぶ。女めっちゃ抱いててキモいとか、人に優劣つけててありえないとか、あんたに関係なくね?わたしも女たくさん抱いてる男めっちゃ嫌いだし、地位を気にして生きたこととかないけど、関係ないじゃん、だって小宮さんの人生ってわたしの人生じゃないんだもん。絶対交わらない世界線にある人生なんだし、本人が幸せに生きているんなら別になんでもよくね?クズでも良くね?えらそうにこれ書いてるわたしもクズだし。少なくとも簡単にひとの人生を批判できちゃうあなたには関係のないことだよ、そんなに怒らないで。安心して。

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感情のままに書いたから読み返したくない。絶対に読み返さない。そして他人の痛みを勝手に推測して勝手にいいように書いているのはわたしの方ですすみませんごめんなさい。

自分以外のだれかの痛みを完全に理解することなんて不可能だ。似たようなことを経験したからといって完全にわかったわけではないということを忘れている。たとえ理解できたように思えても、それは自分の経験した痛みを反芻して照らし合わせて想像しているだけに過ぎない。

自分で書いた言葉なのに、盛大な前フリみたいになってしまった。でかめのブーメランを投げてしまった。ごめんなさい。全然ゆるさなくていいのでここまで読んでくださった方はこれからの人生ずっと笑っていてください。

自意識過剰にもほどがあって埋まってほしいんだけどご本人様がこれを読んでいたらと思うと、……まあいいかという気持ちです。

自分を含めてひとの気持ちに永遠なんて存在しないのでずっと味方でいる保証なんてないけれど、でも今のところわたしと、わたしのツイートを読んでくださっている方々はあなたの味方です!味方というと大げさだけど、生きていてくれてうれしい。あなたにとって捨てたもんじゃなかったあなたの人生のおかげで、わたしのこのクソみたいな人生も捨てたもんじゃないものになろうとしています。ありがとう。ありがとう。ありがとうございます。だからこれからもたくさん幸せって言って!(キモ)