××××××××

そんじゃここまでだ、さよなら

section-37

品川駅前にある名高いホテルのレストランでひとりで食事をしていると、向かい側のテーブルに座っていた家族連れの男性がローストビーフを口に入れたのが見える。あ、わたしも次はそれを取りに行こう、と決めて自分の目の前に置かれている食事に視線を移そうとした瞬間、ローストビーフを食べていたはずのその男性が立ち上がっていきなり踊り始める。それを合図にその会場全体に賑やかな音楽が鳴って、わたしの周りにいたひとたちがみんな一斉に踊りだす。わけがわからないまま口を開けてそれを見つめ続けていると、曲の終わりとともに腕をパッと伸ばした男性がわたしに向かって一言。「あなたの今までの人生、いかがでしたか?」答える間もなくその場の照明がすべて暗転する……。ああ、人生がフラッシュモブで終わればいいのに。

 


 

さみしいという言葉が持つ破壊的な引力をわたしはずっと信じている。内包されたさみしさを抱きしめて生きていかなければならないのが人間だとしたら、かみさまはそのために人間につがいを作ったのかもしれない。ただ生きているだけでは埋められないさみしさを埋めるために愛情や性欲を与えたのかもしれない。さみしいという言葉が持つ破壊的な引力をわたしはずっと信じている。わたしたちは自分にとって必要ではない人間に対する優しさを持ち合わせていないから、だれかといてもさみしくて、ひとりぼっちでもさみしいのかもしれない。だれかの隣があたたかく感じられるのは、わたしたちはいつか訪れる死ぬその瞬間をひとりで迎えなくてはならないことを知っているからだ。

さみしいというだけでどこへでもいけるような気がする。見捨てられたような色のない世界、愛されていないと思ってしまうような感情論、失った愛、記憶の欠片、そういうもののなかにさみしさはいつも存在している

背筋が凍るほどの無関心に触れたせいで、それでも関わっていくしかない美しい人間関係にやられてどこにも居場所がないことを再確認してしまった。一縷の関心が存在していてなおそこにいるのが奇跡のような存在であってほしいと思った。きみさえそこにいてくれたらどんなによかったか。どんなによかったか。きっときみにはわからない

めちゃくちゃに傷ついたときのことを思い返して、あれはほんとうに傷ついたのか、もしかしたら傷ついたふりでうまく生きていきたかっただけなのかもしれないと思ってなにもいえなくなってしまった。読み返した日記の感情的な表現ばかりを黒く塗りつぶしてはなんども生あくびを落とした。 いつか壊れる平穏な日々のことを思い出して泣き出してしまいたかったけど、見つめていた世界が一瞬だけぼやけた気がした。もうわたしはどこにもいないことを知ってそっと笑った

 

-

 

高輪ゲートウェイ駅3階にあるスタバから夕暮れ時の空を見ているといい感じにメランコリックになって、バカみたいに自分に酔えてしまうのでかなり危険だ。あのスタバのコンセント付きの席に座って夕暮れ時に駅構内を行き来するひとを見ているときのわたしは完全に悲劇のヒロイン顔でいるはずだ。たいしてしんどくもないくせにしんどそうな顔をするのが得意なのかもしれない。繋がりのあるまともな文章すら書けないわたしに、考えることなんてほとんどない。自分で購入したはずのスタバのドリンクが何色なのかわからなくなるまでそこに座っていればいい。だってわたしは楽観的に生きていて、何にも不自由していないのだ。足りないものなんて何もないに等しい。望むものを手に入れられなかったなんてのは、ただのわたしのわがままでしかない。わたしがどう暴れてもどうにもならないものを欲しいとあがくのは時間の無駄。そうおもっていろんなものをあきらめる。そうして、やがて静かにやってくるはずの人生の終わりを待つしかないのだ。

 

-

 

だれであろうとみんな同じであると思いながら他人に期待してしまう癖がいつまでたっても抜けない。そのわけのわからない癖のせいで傷ついて、もう二度とだれかのことを信じなくても生きられるようにしなきゃと思ってもまた同じことを繰り返す。いろんなことをすべて忘れたいけど、忘れちゃったらその断片的な記憶はわたしのかけらではなくなるわけで、そうしたら今までそれも含めて完成に近づこうとしていた「わたし」というパズルみたいな「人生」が終わらなくなってしまう気がする。

自分のことを全く必要としていないひとやものを必要とする。理由なんかどうだっていい。いつか一緒に食べたものが美味しかったからとかちょっとだけ唇のかたちが好きだったからとか不意に笑った時の目の細め方が好きだからとかそういう些細な、自分にしかわからないようなめちゃくちゃな理由で十分だ。だれかと共有することも、わかりあうこともない。そういう妙な、だけど確かな理由は大切に思うのには充分だ。必要とするってことには体力がいるし、気力も、精神力もたぶんたくさん必要だと思う。

自分のことをかけらも必要としていない人を必要とする。それで満たされた気になってほんとうはめちゃくちゃ傷ついている。背中を向けられるか背中を向けるかでしか歩いたことがないくせに、横並びになんて到底なれないほどの存在でしかないことを自覚しているくせに、潜在的にそんな考えを振り払おうとする思考力だけがわたしの味方になって、その思考にすがりついて離れないように呼吸を奪う。絶望に溺れた承認欲求がわたしのことを馬鹿にしている。必要じゃないなら呼び止めないで。黙らないで。でもなにも話さないで‬。信じられないのならいますぐにでも海の果てに連れていって見捨ててくれればいい。‪卑屈な覚悟と意味のない言い訳は無邪気に存在意義を傷つける。夏の夜に溺れた匂い、わたしはただいくつもの小さな傷を撫でながらしずかにやってくる朝を待っていた