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そんじゃここまでだ、さよなら

section-29

れはまずいことになった。もうすぐそばまで春がきている。さいきん冬特有の凍えるような寒さが全然なくて、それどころか、だんだん暖かくなってきている。昼間はヒートテックの下着を身につけていなくても平気なくらい暖かい。夜にふらふら歩いても、肌を撫でる風は刺すようなものではなく、ただただ平和な春の訪れを告げるような風ばかり

わたしは春が苦手だ。好きとか嫌いとかいう次元じゃなくて、苦手。春は別れの季節だとかそういう詩的なことを言いたいんじゃなくて、ほんとうに、ただただ苦手なのだ。だって死の匂いがする。別れの季節というのはよくいった表現で、もう二度と会えないものの匂いがするのだ

たとえば桜は、咲くまではめちゃくちゃ期待されて楽しみにしてもらえるのに、満開になって散り始めた途端だれからも注目されなくなる。散りゆくところだってきれいなのに。散ってからは簡単にひとに踏まれる。風に舞い上がってもまた地面に落ちて踏まれてしまう。二度ともとの美しいかたちには戻れない

つんと鼻の奥を刺激する春の気配や匂いが苦手だ。いろんなものが終わっていく気がする。終わってほしくないと手を伸ばした先でつかめなくて消えていくものを見たくない。桜の匂いを嗅ぎたくない。散りゆく桜を見たくない。桜の下でお酒を飲んで、桜を無視しないで。桜を口実に人と会わないで

 

ガラスに仕切られている。ガラスじゃなくても、いつだって何かに仕切られたまま生きている。わたしと向かいあって笑っている人も、ずっとガラスを隔てたむこう側にいる。絶対に分かり合えない、踏み込めないラインをたしかに持っている。家族とか、友達とか、関係性に差はなくて、わたしと向かい合うひとの前にはかならず絶対に割ることのできないガラスがあって、ひとつになることはない。だから結局人間はひとりなのだということをなんども思い知らされる。自分と同じ価値観の人も、自分と同じ死生観の人も、自分と同じものを求めている人もこの世界にはひとりも存在しない。たとえ同じものを好きでも、同じ人を好きでも、それぞれ角度が違っている

だからいつになっても他人のために祈れなくて苦しい。だれかの人生が成功に終わるように、だれかの人生がすこしでもいいものとして成就するようにと無責任に祈ることができない。でもその代わり期待もしない。自分の思うように、自分の考えるように他人の人生がうまく運ばれることを期待しない。祈りもしない。自分が必要とされていないのに相手を必要とし続けるのは疲れてしまう。わたしは絶対に祈らない。手に入れたいものも手にしたいものも、それが大きなものであればあるほどだれにも言わない。明かさない。だってそれを口にしたら、いつか手に入ってしまうかもしれない。わたしの価値観でもって判断したものを手にしたら、それはもうわたしのものになってしまう。もともとそれが持っていた美しさや意味や価値を失くしてしまう

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せめて春に散ってしまう花になりたかった 散って枯れて踏まれて終わりになりたかった。終わりという境界線が欲しかった。自分が踏んだ花のことを思い出さないみたいに、だれの記憶にも残らないままきれいにいなくなりたかった。いなくなってから消えたことに気づくくらいの距離なら探さないでいてほしい。だけどどうしても人間はだれかのこころの奥に残ることを強く期待してしまう。どんなにまわりに人がいて手を握っていてくれても、どうしてもひとりで死んでいかなければならないということをこわいと思ってしまうから

花に生まれたかった 人間よりずっとずっと短い命で、最期には首が折れて死んでしまうとしても その一時だけ咲いていることを認識してだれかが笑ってくれればいいのにと思う。ブーケトスに使われる花や、花嫁が手に持つ花でもいい。プロポーズのためだけに用意された100本のバラの花のひとつになりたかった。だれかのこと救いたかった 花の匂いを嗅ぐほんの一瞬だけでも 無防備なあなたを見たかった 花として