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そんじゃここまでだ、さよなら

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前回このブログで記事を書いてからもう数ヶ月が経ってしまっていたことに驚きを隠せないでいる。そのあいだにわたしはアイデンティティの半分くらいを削り、就活ではバサバサと切り落とされ続け、中学受験の繁忙期を乗り越え、月経前のくそしんどい時期を何日も過ごしたりしている。子宮ってなんのためにあるんでしたっけ。わたしの臓器なのにどうしてわたしを苦しめてくるんでしょうか

中学受験を終え、無事に合格した子たちが次々とうれしそうに報告をしてくれている。わたしはクラス授業を持っていないので、クラス授業だけでは演習量が足りないからと追加で個別授業を依頼してくれた子(結果、この子はわたしが通っていた中学に合格して後輩になることが決定した)と、受験科目が通常と異なるので国語のみ個別で対応することになった子の2名を担当していた。ふたりとも全戦全勝を決めてくれて、みのりちゃんありがとうなんて言ってくれて、鼻の下がとにかく永遠に伸びまくっている。わたしはただ載っていた解答を見ながら丸付けをして、正しい答えを見つけられるように遠回しに誘導していただけだ。彼女たちの頑張りはすごかった。12歳、あっぱれだ。

思えばわたしが12歳のときはあんな感じではなかった。塾にも通っていなかったし、なんなら受験なんてくそくらえだと思っていた。小学校にたくさん友達がいたタイプではなかったけれど、でも幼馴染たちと同じ公立中学に行きたかった。算数を解くのが絶望的に苦手だったということもあるけれど、とにかくわたしは受験なんてしたくなかった。後ろ向きな気持ちのまま受験した中学に結果的に合格して入学してからも、地元の友達が恋しくて学校があまり好きになれなかったのを覚えている。それでも高校でその学校を去るときにはバカみたいに泣いていたんだから、つくづく人間の環境に適応する力ってすごいなと思う。これからはじまる彼女たちの6年間もそうなるといいな。

3月からクラス授業を任されることになり、今から死ぬのではないかと思うほど憂鬱だ。もともと生きることにすら前向きでないわたしにまったく新しいことを任せないでほしい。1バイトに期待をかけすぎだ。あるときいきなり職員室で「発表があります!」的な意味のわからないノリで「3月からクラス授業をお願いすることになりました!」とか言われた。塾長も他の職員もみんないえーいみたいなノリだったけど、マジでテンプレみたいな愛想笑いしか出てこなかった。教科書になろうかな。いや、やりたくねえよ。3月からって、わたし3月いっぱいでやめる算段なんですけど。就職が決まればね。決まってないからまだやめる予定ないけど。これから一発大逆転があるかもしれないじゃん。

中学英語とかならまだわかる。もともと英語の講師志望で入ったし、学生時代も英語がいちばん得意だった。当然そうだろうなと思って詳細を聞くと、小6算数と小4国語。もはやだれをぶん殴ればいいのかわからず、帰るときに職員室の書類という書類をすべて床に落とそうかななどと考えていた。それでも1か月だけなら仕方ないとおもって了承して帰った。バカすぎる。だれだよ了承したやつ。クラス授業と個別授業を併用するめちゃくちゃカリスマバイト講師になることが決定してしまった。乞うご期待。

 

今年で24歳になるのだが、この年齢になるとまわりの友達がみんな結婚だとか妊娠だとか、まあとにかく持って生まれた家族とは別の家族をつくるステージのライフイベントに突入することも増えてきた。毎月毎月飽きもせずわたしの意思とはまったく関係のないところでホルモンを操作されて血が垂れ流されていくことに怒りを覚えているようなわたしには程遠い話だ。生物学上、そして本人の認識上の男性と一緒にいるようになっても、23年もかけて培った分厚いアイデンティティが簡単には崩れ落ちないことを憂いている。

「今痛いくらい幸せな思い出がいつかくるお別れを育てて歩く」わたしの敬愛する米津玄師様の代表曲「アイネクライネ」の一節である。痛いくらい幸せではないけれど、いつか来るお別れを育てながら歩いている感じは、今までずっとある。朝に手をつないで歩き出しても夜には離さなければならないのと同じように、きっといつか手を掴むことすらゆるされなくなる日が来るんだろう。終わりばかりを見つめているわたしはたぶんそうじゃない人と比べるとほんのちょっとだけ不幸なんだと思う。比べたことはないけど。今だけを見つめて今が楽しければいいと言えたらどれだけよかったか。どうしたって明日、明後日、その先のことまで考えてしまう。裏返したらその人とずっと一緒にいたいと思っていることになるんだろうけれど、自分の気持ちをまったく疑わずに相手のことばかり気にしているのがわたしの愚かなところだ。

大学の友人がタクシーの運転手をしていて、その子がよくわたしを迎えにきてくれる。その子は同じ入試方式で大学に入った女の子で、入学式の日からずっと知り合いだったのだけど、はっきりした物言いのサバサバした子で、わたしは彼女のことが話しやすくてとても好きだ。この前もめちゃくちゃ嫌なことがあって、でもそれをだれにも言えなくてどうしようもなくなり、仕事終わりにコンビニで買った強いお酒を大量に飲んでバカになったわたしと、そのわたしに付き合って介抱してくれた恋人を乗せて家まで送り届けてくれた。

途中で恋人が降りてふたりになってから「電話してきたとき(わたしが迎えにきてと頼んだとき)全然ろれつ回ってなかったよ。たくさん飲みすぎたら危ないんだから気をつけないとだめでしょう」と叱った後「今の男の子はなんの友達なの?こんな時間まで付き合ってくれるなんてやさしいね」と笑ってくれた。ふだんあまり自分のことを話すのが好きではないはずなのに、お酒が残っていたこともあって、実は恋人なんだよね、と言ってしまった。わたしの性別への違和感とか性的嫌悪とかいろんなものを知っているその友人はひとしきり驚いて、いつから付き合っているのかとやわらかく微笑んだ。1ヶ月とちょっとくらいだと答えると、じゃあ今が一番たのしいね、と笑った。

それを聞いて、正直、楽しくはないな、と思った。好きな人と長い時間一緒にいられるのはうれしいしとてもありがたいのだけど、自分以外のだれかと一緒にいる時間が長いと、わたしはすごく疲れてしまうのだ。少なくとも大切に思っている人と一緒にいると、何も考えずにいられるわけじゃないからだと思う。頭はずっとフル回転で、ずっと気を使っている。嫌われたくないとか傷つけたくないとかを通り越して、たぶんこれはもう癖なんだと思う。自分の感情の上にだれかの感情がさらに乗っかっているような感じ。楽しいかなあ、と適当に濁したわたしに、友人は何もかもをわかったみたいな顔で「大丈夫だよ」と笑ってくれた。

 

昨日、仕事が終わって職場を出た瞬間に大学の友人たちから急に電話がかかってきた。大学時代は男の子とばかりいたので、電話の相手も男の子ふたりだった。このご時世に渋谷で飲んでいるというふたりを軽く叱ったら、とても酔っていたらしいそいつは大学時代が懐かしいとめそめそしだした。彼氏ができたってほんとう?と聞かれたので、素直にそうだよと答えたら、どんな人?かっこいいの?などと質問されてから、ふと「お前が男と付き合うなんて、そいつはよっぽどの人間なんだろうな。よかった、よかった」と笑ってくれた。口にされたことはなかったけど、男なんて死ねくらいのことを男の子たちに言っていた当時のわたしは、かなり心配されていたらしい。ありがたいなと思った。

 

とにかく就活を終わらせないといけないんだけど、もうどうしようもないような気にもなっている。自分を作り込んで思ってもないことを言ってまで就職したい会社なんてひとつもないし、素の状態で面接をして落とされるのであれば、それはもうこちらとしてはどうしようもないのではないか。このまま塾の講師としてみのりちゃんと呼ばれて生徒の話を聞いたり、ときおり勉強をみたりしていた方がいいのかもしれない。将来に対して不安とかは特にないけれど、平等に期待もない。やりたいこともないし、成し遂げたいこともない。ただ呼吸と時間を消費して生きているような今のわたしに、だれかに対する文句や意見を言える資格などないんだと思う。それでも生きていかなければならない世界線、なんとかしてくれ。適応できない。

毎度のことながらどうしてこんなにもとりとめのない記事を書けるのだろうと自分で自分が不思議で仕方がない。しかもきっと明日になったら何を書いたかなんてほとんど忘れているんだろう。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。もしもいつか会えたらわたしと花束みたいな恋をしましょう。