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そんじゃここまでだ、さよなら

section-41

テス、テス、マイクテス。こちら、世界一のバカ。聴こえてますか?

何について書くんだろうと思いながらパソコンを開き、何についても別に書きたくないわたしに翻弄されながら今これを打っている次第なのだけれども、最近、わたしはいろんなことが嫌になってきてしまった。兎にも角にも、何をやってもうまくいかない。寝ようと思って布団に入ってもなかなかしっかり眠りにつけず、うつらうつらしてきたと思ったらすぐに目が覚めてしまう。怖い夢をみたわけでもたくさん昼寝をしてしまったわけでもないのにふわふわと薄いまどろみの中を漂い続けて、ほんの小さな物音で意識が浮上してしまう。なんかよくわかんない頭痛もずっと続いているし、お腹の調子も悪いし、すぐ冷や汗をかくし、身体も火照るし、きっと生理前なんだろうけど身体のいろいろなことが心のいろいろなことと噛み合わない。自分の身体なのにコントロールできなくて、ずっと頭の中で自分の身体をうまく動かすためのリモコンを探している。

ずっとこんな調子だから、何をするにも覇気がないように見えるだろう。目の下のクマはどんどん濃くなるばかりだし、何を見ても何を聞いてもぼんやりとモヤがかかっていて、薄いベールの奥に世界があるような感覚がずっとある。何かに対する熱が冷め、興味が薄れ、わたしは徐々に終わりに向かっているのではないかとさえ思う。いつかちゃんと意識が浮上して今まで通り生きられる日が来るのだろうか。ドカンと一発、わたしに大砲でも撃ち込んでほしい。今まで楽しく観ていたものも楽しく聴いていたものも平等にうるさいものでしかない。そんなこんなで前回のラジオをパスしてしまった

思えば毎年この時期は体調も気分もすぐれない気がする。原因がないといえば嘘になるのだが、でもそれについてつらつらと語る勇気は今のところない。こうやってそればかりにとらわれるから本来生きていくはずの道を踏み外してこんなバカが生まれる。なんとかしてくれよ

そろそろ終わりにしてくれと思いながらもう何年も生きて、わたしはついに23歳になってしまった。頭の中はずっと脳漿炸裂ガールで、だれかの真似事みたいに恋愛をすればリンネが流れ、うまくいかなければ恋愛なんてくそくらえだと御託を並べる。この世界に対する適応ができないまま図体と脳みそだけいっちょまえに大人に近づいてしまったガキって感じだろう。そういうわたしの一面を見抜いた「ちょっと経験しちゃった」人間からあれこれ言われるのがほんとうにしんどい。ほっといてくれ。うまく生きていけないわたしを、うまく生きている(ように見える)あなたに形容されたくないのだけど。

ふだんいろんな人がいろんな文章を書かれていてそれを吸収しながら生きているのだけど、わたしの文章は自己完結型、意味がかけらもこもっていない自慰文章だといつも思う。たとえば今日のこの文章ならば「わたしほどこの世界に不要な人間はいるのか?」というたったそれだけのことを書くために遠回り、回り道、急がば回れを繰り返している。たらたら長い修飾語と句読点で飾られた文章を作るという、なんの才能にもならない能力。可愛い女の子が必要ならわたしではなく妹にその役割を回せばいい。実際、職場の男は今がんばってわたしの妹と仲良くなろうと元気にわたしを利用しているところだ。あした妹も誘って三人で飲みに行かない?え、妹こられないの?じゃあいいや。おまえ何様やねん。King of anything?バーカバーカ。ハッ、世界一のバカはわたしだった。お詫びして訂正いたします。妹ほど可愛く生まれてこられなかったわたしにもわたしが全身全霊で謝罪いたします。申し訳ありませんでした。ははは

 

だれかの POP STAR になりてえな〜と思って日々を生きている。魔法をかけてあげよう〜。ただしわたしは親和欲求というものが恐ろしく欠如した状態で生まれてきているので、それはきっと一生叶わないだろう。親和欲求とか性的欲求というものはほとんどないと言っていい。「ほとんど」という言葉を使ったのは、頭の中に飼っている自分の中にはそれらが普通に存在しているからだ。頭の中の自分を使って想像すればわたしは多分どんな恋愛小説でも官能小説でも書ける。それらがどういうもので、どういう感情を誘発するものなのか、知識があるから。体験したわけでなければ経験したわけでもないが、それでももうひとりの頭の中のわたしが自分を犠牲にしてそれを想像し尽くすことで描写することだけはできる。それを確かめる術はないが。

 

今日もまたどうせ眠れないのだ。明日は職場の人間と飲みに行く約束をしているというのに。布団に入って目をつぶっても眠れない。目にも耳にもモヤのかかった世界にようこそ。もういっそ終わりにしてくれよ。ずっと終わりを祈っているのに適切な終わりが与えられずここまできてしまった。もう終わりです。ここで。はい。お疲れ様でした。

死にたいの?というご質問をときどき友人からいただくんだけど、別に死にたいわけではないのだ。わたしの想像している終わりは「死」というものとはまた少し違った次元にあるような気がする。知らんけど。とりあえずこの目の下のクマをなんとかしてくれ。水曜日にライブに行く予定なのにこんなんじゃそもそも公衆を歩けない。そして次が最後のライブになるかもしれない。探さないで。いつの間にか消えたことに気づく距離ならば

 

ほんとうに書きたかったことっていつも書けないで終わる。今日もそう。でもそれが文章を書くということの本質な気がする。自分の書く小説の中に自分の願望とか理想とかをぜんぶ詰め込むのは、そのお話の中に自分が一切出てこないからだと思っている。少なくともわたしの書く物語みたいなものは、だれかに自分の生きたかった人生を生きてもらうことで成立している。わたしの生きたかった世界線の人だったり、あるいは生きたくなかった世界線の人だったりする。架空の、あるいは理想の世界の中で生きる自分が書いた日記を書き起こしている感じ。キモ。お前ごときが語るなよ。まあいいか。わたしは世界一のバカだった。なんでもいいよね。