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そんじゃここまでだ、さよなら

section-40

数年ぶりに教会の礼拝に出席するために早起きした。まあ早起きと言っても8時半くらいだったんだけど、普段のわたしから考えてみるとかなり早い。えらい。えらすぎる。家に帰ってから普通にベッドで昼寝してしまい、くっそエロい夢を見て起きた。なんでこんなことになってんの?と夢の中でも思い続けて、なんでこんなもの見させられてんの?と夢の中で必死に叫んでいたら目が覚めた。はあ。ただふつうのエロい夢ならいいんだけど、なんかすごく情景がリアルで恐ろしかった。リアルじゃなかったのはわたし以外の登場人物だけ。もう二度と見たくない

 

先日、中高時代の友人たちと電話をした。高校卒業時に卒業旅行にいったメンバー8人のうち5人くらいだったと思うのだが、他の3人がもう寝るからと電話を切ってしまってから、めちゃくちゃ意味のわからん発言をしてわたしをイラつかせた奴がいたのでそいつの話をしようと思う。

時代は遡って大学2年のとき。ある日いきなりその子から連絡がきた。飲みに行かない?と誘われて、5限の授業のあとに渋谷のヒカリエの中にあるバルみたいなところでひさしぶりに会って、お酒を飲んだ。当時、その子にははじめての彼氏なるものがいて、馴れ初めから何からいろんなことを聞かされまくっていた。程よく酔っ払って程よくめんどくさくなっていたわたしは「そんなにかっこいいなら今から会わせろよ」などという恐喝まがいのことを言い、わたしと彼女とその恋人は、めでたく(なぜか)東京タワーの下で初顔合わせをすることとなったのだった。それ以降いちども会ってないけど。

それからもう3年くらい経って、現在、彼女はどうやらその当時の恋人と結婚したらしい。苗字が変わっていた。知らなかった。それで、一生懸命わたしに「専業主婦の大変さ」をプレゼンしてくれたのだった。あの頃「私の彼氏めっちゃかっこいいんだよ」とのろけてきたのと同じ熱さで。今度こそほんとうに鬱陶しかったのだけど、それを邪険に扱うほど子どもでもないのでしっかり聞いていた。わたしってほんとうに優しい。

「専業主婦ってほんとに大変なんだよお!」「何が大変なの?具体的には」「掃除も洗濯もしなきゃいけないし、ご飯の献立も毎日考えないといけないんだよ」「でもそれ今までずっとお母さんがやってきたことじゃん?」「そうだけどさあ、毎日だよ?しかも家のことだけじゃなくてちゃんと自分磨きもしておかないと、◯◯さん(なぜか同じ名字になったのに旦那さんのことを名字で呼んでいた)に女として見られなくなる日がきたらどうしようって不安なんだよ」「ああー(わりともう引いてる)けど今まで料理なんかしたことない!みたいなこと言ってなかった?大丈夫なの?」「あんまり大丈夫じゃない!」「やばいじゃん」「だからよくお母さんに来てもらって作ってもらってる」「いやいやそれあんたがやってることにならないじゃん!あと、くよくよ考えちゃうんだったら短時間のバイトでもパートでもしてみれば?」「え!自分磨きもして家事もして仕事もするってこと!?無理だよ!忙しすぎる!それに◯◯さん(あんたもその名字じゃん、というツッコミはもう2回目くらいで諦めた)も、働かなくていいよ、お家にいていいよって言ってくれてるのにわざわざ外に働きに行く意味なんてなくない?」

こいつなに?

世の中には、家事もして子育てもする人もいれば、働きながら家事もして子育てもしている人もいるのに、お前はなんやねん。あなたがエステやらネイルやら行っているそのお金はどこから出てるんだ?ついでに、自分磨きって言葉つかってる人まだいたの? しまいに彼女は「いいなあみのりはメイクしなくても外歩けるんでしょ?仕事もしてるし、実家暮らしで、洗濯してくれるお母さんもいて、ご飯作ってくれるんでしょ?」という爆弾を投下してきた。まあわたしは働いてはいるけど実際のところ就活生で、フリーターみたいなもんだし、反論する気もわかなくて、ああまあそうですね的なかんじに返していると「早く相手見つけないと23歳なんてもうおばさんで買い手どんどんいなくなるよ。子どもも年取るにつれてどんどん産めなくなるんだし」などと四千頭身もびっくりの怒涛のたたみかけを披露してくれ、最後には「眠いし肌に悪いから寝るね。やっぱ中高時代の友達にはなんでも話せるわ〜」と電話を切ってお眠りになられた。いや、大殿篭られた。何こいつ。わたしよく今日までこいつと友達やってたね、と思った。Yちゃん見てますか?あなたの「中高時代の友達」という枠組みの中に金輪際わたしを入れないでいただけると助かりますよろしくお願いします

早く結婚しなねじゃねえよバカ、と思ったけど言わなかった。買い手売り手で人間の(特に性別の)価値を語るんじゃねえよハゲ、と思ったけど口にしなかった。みんながみんな子どもがほしいんだと思って発言するんじゃねえよオタンコナス、と思ったけど、価値観の違いだろうからと声にしなかった。あんたのその有り余るオンナオンナしい部分を半分くらいわたしに分けてくれ。あの子は毎月毎月自分の意志と全く関係ないところで飽きずにバカみたいに生理がきて、アイデンティティを揺るがされるほど落ち込んだことなんてないんだろうなあ。ずっと生まれたときからちゃんと女の子として大切にされて生きてきたあなたに気持ちがわかるわけないでしょうね、と思ってなんだか悔しさも消え失せてしまった。こうやってどんどんわたしはわたしのことをゆるしてあげられなくなっていく。お前みたいなボケナスが放った何気ない一言で、不必要にどんどん急降下している。つーかなんなんだお前。たかだか6年間学校が一緒(中1と高校3年間おなじクラス)だったってだけでわたしの人生に口出しすんな!そして二度と連絡してくんな!バカ!ハゲ!オタンコナス!!!

 

わたしのモットーは、他人の人生に口出ししないことだ。言い換えれば、他人に自分の価値観を押し付けないこと。期待しないこと。決めつけないこと。そして、自分の感覚や感情は決まった人にしか話さないこと。

だれに対しても、こうあってほしい、こうしてほしい、こんなことしてほしい、こうした方が絶対いいのにな、というきもちを抱かない。抱かないようにしているわけじゃないんだけど、そういうきもちがそもそも発生しない。それを悪だといっているわけじゃない。わたしが単に考えすぎな自意識過剰人間なだけ。だって仮にそれが今回のわたしみたいに、その人にとって「選びたくても選べないもの」だったら?わたしの勝手な期待によって不必要に傷ついてしまったら?どうやって責任をとる?しかもそれが友達じゃなくて有名人とかだった場合、わたしは、その人がわたしが勝手につぶやいた期待を読んで傷ついていることを知らないまま死んでいくことになる。

先の彼女の頭の中では当たり前のこととして存在していた方程式は、わたしの中ではなんの完成もしていない、まとまりのない文字だけで存在しているのだ。今回、わたしは最悪、この女友達(ただの知人と言いたいところですがそこまで子どもじゃないのでしっかり友達と明記しますよわたしは)に「てめえみたいな価値観を全員が持っていると思うな。お前の価値観・性別感・人生観を押し付けるな。わたしの人生の内部にいる人間はわたしだけだ、外野は黙ってろ」と言えたかもしれない。でもそうやって口にすることが叶わない距離感の人間だったらどうしよう

自意識過剰だキモいぞバカ、と言われたらそこまでだけど、わたしは実際、そういう配慮を全くしていない人間どもにいくらでも傷つけられてきたから、自分はだれのことも傷つけずに生きていきたいのだ。いやそれは無理だけど、せめてつけてしまう傷の大きさを最小限にとどめたいのだ。

価値観を押し付けてくるという点では、自分よりも年上で、昔の価値観を引きずったままの人であれば仕方がない。それはその人の生きてきた時代が作り上げた価値観であって、その人個人のものだけではないから、チクチク傷つきながらもにっこり笑って流せるようになった。大人だからね(しつこい)23歳になったときおばあちゃんに「まだ恋人はいないの?「私があなたくらいの時にはもう子どもがふたりいたのよ(どひゃー)」などと言われたけれども、まあまあ、くらいに流すことができた。だけど同期のその押し付け方には目をつぶれない。自分の価値観だけが正しくて、みんながみんなそれで幸せになれると思うな。いや冷静に考えればこれも他人に期待しているってことになるんだろうけど。

 

わたしは期待をしないぶん、嫌いにもならない。仮に明日、彼らがめちゃくちゃ太っていたり、髪が抜けちゃってたり、ボケちゃってたり、どうにもならない犯罪を犯していたことが発覚して逮捕されるとしても、ずっと同じ温度で好きでいられる自信がある。彼らの価値を決める肩書きみたいなものなんてすべて付属品でしかないからだ。逆に言えば、そのくらいの覚悟がないと人のことを応援しようと思わない。好きにもならない。わたしが一定以上の感情を抱く人は「明日(将来も)どうなっても好きでいられる」という自信がある人だけで、それ以外の人に対しては好きも嫌いもない。意図的にしろ無意識にしろわたしを傷つけてくる人のことは無条件に嫌いだけどね。

わたしの友人関係は「この人なら裏切らないだろう」という期待ではなく「この人にならいつか裏切られても構わない」という信頼(ある意味、諦観)のもとに成り立っている。

 

ここまで話すと、何が期待で、何が期待じゃないのかわからなくなってくる。でも、大切な人間に願うことは、ただただ幸せに笑っていてほしいということだけ。それだけはずっと期待している。というか、祈っている。「幸せに過ごしていてくれ」ということだけは、ほんとうに無責任にずっと祈っている。なぜなら「幸せでいる」ということが人生において一番難しいことだと思っているからだ。いろんなしがらみにやられないでいてほしい。

「幸せでいる」ということの中を覗き込めば、それはそれは数多くの期待が込められていることに気づく。笑っていてほしい。苦しいことはしなくていい。無理はしないでほしい。だけどこんなの、仕事上でも、プライベートにおいても、そもそも人生において実現できるわけがないのだ。どこかで無理をするし、どこかで苦しい思いをするし、どこかで笑えないときがやってくる。人間必ず試練のときがある。だから祈るのだ。無責任に。その人生の圧倒的部外者であるわたしが、全然関係ないところで、どうかずっと幸せでいてほしいと祈る。

気づきもしないような、目に見えないどこかで自分のために無責任に祈っている人がいるという、小さな幸せのひとつにもならない事実を無意識に甘受して、今日も明日もできるだけ平和に生きていってほしい。少しでもその人生なりの幸せに近づいてくれるなら、ファン冥利に、友人冥利に、家族冥利(こんな言葉あるの?)に尽きるというものだ,