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そんじゃここまでだ、さよなら

section-28

くづく、‪熱という漢字とは無縁な人生だとおもう。情熱、熱心、熱意……そういう単語とはまったく違う世界で生きてきた。いままでずっと将来の夢もなく、希望もなく、これといって秀でた才能もない。やりたいこともない。大学だって特に行きたいところもなかったし、お金もなかったから別にどこでもよかった。心理学が強いから受けたかった大学の推薦が来ていなかったとき、一般入試ではなく違う大学の指定校推薦を選んだのは、お金がなかったからというのもそうだけど、結局どこでもよかったからだった。心理学を選んだのだってやりたかったからというより、これならわたしにでもできそうだとおもったからだ。昔から他人の考えていることを読むのは簡単だったし、その人がほしがっている言葉はいつも手に取るようにわかった。目を見て表情を見てそのひとの言葉を聞き、その人のなんとなくの性格とすり合わせて考察すれば、どういう人間なのかだいたい理解できた。そういう、唯一の特技とも呼べそうな人間観察力みたいなものを生かせるのは心理学しかないと思った。心理学科にいながらカウンセリングを行う職種を目指していないのは、わたしがある一定以上の熱量をもって他人の抱える問題や悩みごとに寄り添える人種ではないからだ。‬うつ病のひとに死にたいんですと言われたら、あなたの人生なのでわたしは止めませんからどうぞと言って、楽に死んでいける方法をいっしょに探してしまうと思う。わたしはそういうふうにできている。死にたい人を無理やり生かすほどの熱量は、わたしにはない。


‪やさしいふりをするのはうまい気がする。なぜなら人間のことを一定以上すきにもきらいにもならないからだ。だれにでもやさしくできる。最近気づいたのだけれど、他人がわたしをすきになってくれることを少しも期待していないのは、わたしがだれかをすきになることをわたしがいちばん期待していないからだ。すきでもきらいでもないひとがたくさんいる。大学の友達は特にそうで、遊びに行けば楽しくてそのときはたくさん笑うんだけど、帰り道にふと冷静になって、あした急に会えなくなっても別に平気だな、と思ったりする。

 

「熱」という漢字のつくものと無縁なのではなくて、ただ執着心がないだけなのかもしれない。いちばん仲良くしている友達は、たぶんあしたからわたしと二度と会えなくなっても平気だと思う。そういうドライさがいい。わたしは明日からその子に会えないとなったらわりときついけれど、でもたぶん生きていけてしまう。そういう関係だからたぶんここまで続いている。大学だってそうだ。大学名や立地に執着がない。こだわりもない。学歴がわたしになにをしてくれるというのか。結局はそのひとにどんな力があるか、そのひとがどんな人間なのか、などの「生きてきた時間」みたいなものを買われて就職したり結婚したりするのだから、肩書きにはなんの価値もないと思ってしまう。

 

22歳になって、大学卒業を目前にして、親戚から「付き合っている人はいるのか」「結婚はする気なのか」というあほみたいな質問を投げかけられることが増えてきた。うるせーなと一蹴できればいいのだけどそういうわけにもいかないので笑って誤魔化している。こういうことを言うのはいけないことだとおもうけれど、異性愛至上主義者になんて言われようと、わたしには関係ないとおもって生きていくと決めている。早く結婚しなさいとかこどもを生みなさいとか、そういうのは異性しか愛さない人が勝手にやってくれればいい。

 

だいたいわたしをみて、わたしがだれか(=そのほとんどが男性をイメージしていると思う)と付き合っている(=だれかに大切に思われている/だれかを大切に思っている)想像ができること自体がすごい。あたりまえの波に飲まれている。そもそもだれかと親密になるのが苦手なのに、自分のありったけの情報をだれかと共有できるわけがない。わたしがだれかと腕組んで歩いていることを想像してから聞いてほしい。

わたしはわたしがだれかに気をゆるして恋愛関係を結んでいるところがまったく想像できない。想像せずに生きてきたと言ってもいい。だから情熱的にだれかを愛している人のこと、太陽を見るみたいに目を細めてみている。だってわたしは、わたしに絡まる性や愛やそれらにまつわる感情すべて、吐き気がするほどきもちわるい。きもちわるいとおもいたいわけじゃなくて、純情ぶりたいわけでもなくて、ほんとうに、ぜんぶがきもちわるい。というかもう、人間のからだのしくみからきもちわるいとおもっているのだから、たぶんこの世界にわたしの居場所はないのだとおもう

 

まあたぶん、なににも興味がないんじゃなくて、熱心になれないんじゃなくて、そうやって熱心になってきちんと人間としての務めを果たしている人のことを、こころのどこかでばかにしているんだとおもう。わたしがいちばんばかなのに。わかっているのに、ずっとわかってあげられない。こうやって他人や自分のことを観察してどう考えているかを当てたり暴いたりするのが得意だから心理学をまなんでいるのだとおもう。

 

正しいとされる生き方とか、まっすぐな道とかを踏み外してまでなにかをほしいとおもえない。ほしいものはたしかにあって、ほしくてたまらないのに、それがほしくてどうにかなりそうになることはたくさんあるのに、ちゃんと手を伸ばそうとは思えない。こころの奥では千切れそうなほど手を伸ばしているのに。ひとに言えないようなこと、ひとにわかってもらえなさそうなこと、たくさんかんがえるけど、でもどれも実行できない。わたしは結局わたしのことをいちばん大切に思っていて、だけどわたしはわたしがほしいもののために自分を捨てられない。

 

だからきっと、執着したいだけ。なんでもそう。適度な距離を保って、自分と違う価値観のものを遠ざけて、軽蔑すべきところはきちんと軽蔑して、そのひとを生活の全てにしないように、努力をしてみたいだけ。こんなのわたしじゃない