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そんじゃここまでだ、さよなら

section-23

っと同じ人のことをすきだったり、応援していたりするというのは、精神的にものすごい異常なことだと常々思っていて、それは自分にはまず存在しない類の感情なのだろうと思って生きてきたのだけど、存在しなかったはずの感情を手にしてからもう1年もたってしまったので、意外とそうでもなかったみたいだった。

わたしが高校の友人や大学の同期にはじめてあいださんの話をしたとき、心の底から驚いたような顔をして「テレビとか見るんだね」「芸能人とかに興味あるんだ」「ファンっていう単語とは程遠い人間なんだと思ってた」と口々に言われたのだけど、それは正直に言えば、わたしもずっとそう思っていた。

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もともとテレビを見ないわたしは芸能人と呼ばれる人のことを好きになったことがなかったので、はじめの頃は戸惑うばかりだった。テレビにラジオにライブに、彼らはとにかくどこにでもいた。テレビがついていれば高確率でそこにいたし、決まった時間にラジオを聴けば声がした。はじめて新宿のライブを見に行ったとき、本物がしゃべっていて驚いた。あと、ファンのひとがたくさんいて圧倒された。出待ちという文化もはじめてだったので、なおのこと驚いた。そこにいるファンのひとたちはみんな如雨露なのだろうと思った。花に水をあげるのとおなじように見えた。栄養をあげるとか、そういうのじゃなくて、ただきれいで、長生きしてほしいから、みたいな、そういうイメージだった(何言ってるんだろう)

考えなくてもいいことばかり考える天才なので、如雨露のきもちも考えたし、花である彼らのきもちも考えた。ここに並んでいる女の子たちを目の前にして、それでもほんとうに好きな子に振り向いてもらえなかったら、どんなきもちで生きていくんだろう、とか。自分の言葉ひとつで動く人間が目の前にいて何を思うんだろう、とか。けっきょくそんなことを考えたって何ひとつ解決しないし、聞く機会もないから永遠にわからないままなのだけど、そういうことをあれこれ考え込みながら生きている毎日は、それでもわたしに新しい感情をもたらしてくれたような気がする。

 

今このひとたちを好ましく思い、その存在を大切なものとして捉えている自分が、明日にはそれらの感情すべてがガラクタに見える自分に変わってしまっていたらどうしよう。余計な不安を抱える天才でもあるから、そんなことを考えてしまう。ぐるぐるそればかりがあたまを回ってどうしようもなくなったとき、わたしはだれかのことを好きでいることに慣れていないのだということに気づく。だれかを大切に思うと、すぐそのだれかをかみさまにしてしまう。

だけど1年かけてようやく気付いたことがある。ずっと同じ種類の「すき」が自分の中に存在し続けるのではなく、あふれる情報の中で毎日のように新しい要素が取り込まれ、かわりに、古くなっていらなくなったものが消える。そのサイクルを繰り返していく中でだんだんと「すき」という感情が更新される。

 

彼らを通してラジオという媒体に出会えてよかったな、とつよく思う。視覚でとらえるのではなくて、声と言葉だけで存在を認識するもの。ラジオを聴く習慣なんてそれまではぜんぜんなかったけど、きっと子どもの頃からラジオを聴いて過ごしていたら、想像力が豊かになっていただろうな。ラジオのおかげで好きになった歌手もいる。ラジオのおかげで好きになった曲もある。ラジオのおかげて知ったことがたくさんある。ラジオのおかげで口にするようになったものも、言葉も。

他者から得られる情報がひとつふたつと増えて、何年も一緒に生きてきたはずのわたしですら知らなかったわたしの内面世界を彼らがつくり出し、見せてくれるようになった。一緒に生きているわけじゃないのに彼らの価値観や世界観や人間性を垣間見ることができている気がする。もちろんそれは彼らが「見せている」部分だけであってそれがほんの一部であるということもわかっているけれど、でも、わたしにはないものを取り込むことができてうれしい。目が悪くてよかった、とさえ思う。

 

自分にとってすごくいやなところも見たし、個人的にこれはゆるせないと思うことも少なからずあった。逆に言えば、何が好きなんですかと聞かれてもまったくわからないし、答えられない。でも、なんかいてくれてうれしい。だからいてくれるだけでいい。何もしなくてもふたりで笑っていてくれ。くっだらないことでケタケタ笑っていてほしい。丑三つ時に。終わりのある物語は読みたくないので、これからもずっと声を聴いていたいです。

 

そして、このブログを読んでくださっている方、ありがとう。うれしい。これを読んで、こいつキモ!って思ったのか、こいつなかなかいいこと書くやんけ、って思ったのかはわたしにはわからないんだけど、でもここまで目を通してくれたというだけで、平等に、ありがとうございます。ふつうに生活していたら出会えなかったかもしれないひとたちと出会えて、いろんな世界線で生きている人たちとお話することで、より自分の世界が深く広くなっている気がします。こんなきもいわたしですが、2年目もどうぞよろしくお願いします。