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そんじゃここまでだ、さよなら

section-30

執着心がほしい。考えてみれば今までなにかに執着するということをあまり経験したことがない。なにかのファンである時点でもうそれは執着だろうと言われてしまったらそれで終わりだけど、自分ではあんまり執着していると思っていない。何の変哲もないクソみたいな生活をきれいな色で彩っていただいているというだけでわたしのすべてではないし、おなじように彼らのすべてもわたしではないので

永遠なんてないというのは人間にとっての(いつもの)謳い文句で、必ず歌詞とか詩とか小説とかで述べられている昔からの常識みたいなものだと思う。永遠なんてほんとうは存在しないことを知っているから永遠を誓うような歌がたくさん流布されているんだろうな。人間はほんとうは存在しないものにすがりつきたい生きものだから。まあそりゃ好きな人とはおなじ永遠を見ていたいよね。目先のことに不安を抱くより、ずっとずっと大きな永遠を夢みて安心して生きていたいと思うだれだって so

いつか終わるということがどんなに美しいか。どんなに好きなものでも大切なものでも、いつかはかならず終わってしまうということ、終わってしまうからこそ今の美しさが存在しているのだということを、忘れてしまいがちな気がする。いつか消えてしまうということに対する寂しさや悲しさや悔しさが「別れ」や「終わり」ということから人間を遠ざけて、意識すらしなくなる。だって自分だっていつか終わるんだからね。日々生きている時にはそれを忘れている。好きなマンガの連載は必ずいつかは終わってしまうし、ドラマも時期が来たら終わる。好きな人だって、いつかは別れが訪れる。失恋じゃなくたって、ひとはどうせいつか死ぬ

わたしは自分のきもちをいちばん信頼していない。いちばん疑ってかかっていると言ってもいい。熱しやすく冷めやすいわけでもすぐきらいになっちゃうわけでもないんだけど、でも、どうせいつかは好きじゃなくなるからと思って生きている。あーこのひとに対してそういうきもちのときあったなあって思うだけの日がいつか来てしまうということを知っている。いつかそのひとやそのもののひとつひとつに全くこころを動かされなくなる日がくる。それは成長だったり退化だったりいろんな理由があるのだろうけど、そうやってなにかを忘れたり切り捨てたりするのは、生きていくのに必要なんだと思ってる

実は今まで(恋愛的に)ものすごく好きだった人ってひとりもいなくて、だいたいそんな大した執着心も持てないまま終わることが多い気がする。大学生になってまわりがだれかをすきだとかだれとだれが付き合っているだとか騒ぎ立てるからわたしもなんとなく、ってかんじを繰り返してきた。それらがわたしにどんな影響をもたらしたのかは謎だけど、恋愛って良くも悪くも人間の発達に必要なエッセンスなんだろうなあと思った。何個か前の記事(https://kiminiiii.hatenadiary.jp/entry/2019/08/18/044757)で書いた子のこともたぶん当時はふつうに好きだったんだろうけど、いま振り返ると恋愛的な好きじゃなかったなと思う。憧れとかとおんなじだった気がする。ちょっと大人しくて、まわりの子とは違っているように見えただけ。だってべつにその子のことほしくなかったから

ほしいものはひとつだけあるけど、それはわたしの全人生をかけても手に入らないものだということを知っているから、もはやほしいと思う感覚さえも麻痺してきている。絶対に手に入れようとおもう執着心もないから、自分が死ぬまでずっとこのままでいいとさえ思う。それをだれかに話すと「ほんとうにほしいわけじゃないんだね」「ほんとうにほしかったらいろんなもの犠牲にしても手伸ばそうと思わない?」って言われるけど、はいはいどうもって言っていつも流している。その行動をしたことでわたしにはリスクしかないし、意味もない。手に入らないから。それを手に入れたあとのわたしが想像できないし、中途半端に存在している独占欲のせいで、絶対にてのひらで握りつぶして終わりだと思う。だれの手にも渡らないように

 

わざわざ言う必要もないかなあと思ったけど、半年くらいちまちま勉強して挑んだ大学院の試験、みごとに落ちてしまった。まあ普通に努力不足だし、大学院進学に執着していたわけでもないし、もともとバイクで走っている人を裸足で追いかけるくらいの負け確定の試合だったから落胆も悲しみもない。負け惜しみっぽく聞こえるかもしれませんがこれはほんとうにほんとう

2校受けたうち自分の通っている大学の試験(内部進学がないのがいけないということを永遠に主張し続けてやる)に落ちてしまったので親はけっこう残念がっていた。もともとあまり試験に落ちたり悪い点をとったりしたことがなかったので親戚からもわりと「意外!」なんて言葉をいただいたりしている。はい意外でどうも。学校内の範囲が決められたテストを受けているのとはわけが違うのよ、という言葉はひとりごととしてしっかり処理した。わたしってえらすぎ

指定校推薦で今の大学に入ったので、自分の大学以外の大学の試験を受けたのは人生ではじめてだった。めちゃくちゃ方向音痴で地図も読めないダメ人間なので前日にちゃんと下見に行った。程よく郊外にある大学だったのですごく広くてのびのびしていて、なんかいいなあと思った。チャペルもきれいだったし

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でもいざ試験を受けてみたら口頭試問の担当の教授たちの態度が悪すぎてまじで受かってもぜってえ行かねえと思った。いやこっちは選ぶ側じゃないし、というか絶対落ちてるんだけど、なんでああいう態度とるかなあとモヤモヤしながら帰った。ひとの話を聞くときは足を組まずに、まあせめて手を膝の上や机の上に置いてね。わかった?大人でしょ?

というわけで一緒に卒業する同期たちよりも1年遅れて就活をすることになりそう。卒業して2年以内なら新卒でとってくれる会社が多いみたいだから普通に就活して普通に就職して、それでも研究がしてえな〜って思ったら社会人枠で院に行こうかな。そうなる可能性めっちゃ少ないけどね。ちなみに院では「同性愛者の内在化した同性愛嫌悪」について研究しようと思ってました。まあ、ふつうに興味あるから個人的にやってみようかな

 

コロナで揺れる世界。季節性の咳喘息でずっと咳をしているわたしは電車のなかで人権がない。そんなことより、イベントやライブをやるのかやらないのかということで毎日いろんなところが揺れている。正直なことを言うと、わたしはやってもやらなくてもどっちでもいい。すごく楽しみにしていることは確かだけど、やるって判断もやらないって判断も、たくさんの大人がたくさんのことに絡まれて足をとられながらたくさん悩んで決めたことだろうからこっちがあれこれいう資格は絶対にない。ただ楽しませてもらう側のこちらと、めちゃくちゃたくさんのひとを楽しませようと思ってずっと前からいろんなことを考えてくださっている側なんだから、こっちが文句を言ったり愚痴を言ったりするなんてありえないというのがわたしの見解

 

べつにたのしく生きているならそれでいいじゃない。あなたの人生がたった一回であるように相手の人生だって一回だけなんだからさあ〜と思う。高い洋服買ったって旅行いったっていいじゃない。たのしそうでこっちもうれしいじゃない?そうじゃない?だめ?だめですか?わたしは高い洋服買ったり旅行いったりしたときただふつうにうれしいし楽しいけどな〜

リプライで相田さんとかに直接悪口いってたりするひとって相手に自分の顔が見えないからと言って簡単に他者のこと傷つけられちゃうくらいだから人生めちゃくちゃ小せえんだろうな〜と思っちゃう。相手の目をみて言えねえこと文字で言うな。こういうこというとまた痛えファンだって言われるんだよねえ。べつに相手がだれであろうとわたしはこれをずっと主張し続けるよ。究極、どんなにすきであろうと他人の人生なんだから自分の人生を生きているこちらが文句を言う資格なんて微塵もねえだろ

 

は〜余裕ぶって生きてやろ〜っと。余裕ぶりまくっていつかほんとうに余裕が出てきたらいいなと思いながら生きる。ほんとうは就活とか死ぬほどしたくね〜な〜って思ってるし、ここまでクソ適当に生きてきちゃったんだからできることねえしそもそもわたしに向いてる仕事なんてねえよば〜かとか思ってる。う〜わもう電車とかにひと思いに飛び込んでやろうかな〜とか思ってるけど(まあ絶対しないと思うダサいから)ふつうに生きていくしかないんだよね、いつか永遠になるために。絶対に存在しない永遠のために生きないといけないんだよな今日も。あ〜あ。あしたは髪の毛の永遠を断ち切るために髪を切って染めま〜す