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そんじゃここまでだ、さよなら

section-31

最悪になってしまった。いやもともと最悪だろと言われたら何も言えないのでもうそれまでなんだけれども、わたしは最悪になってしまった。最近ものすごい速度で春が世界を包みこもうとしている。肌や髪に触れる春があまりにも濃すぎる。もうすぐ桜が咲きそうだなんて報道されていて哀しい。ずっと桜が咲くのを待っていたい。楽しみにしていたものが終わっていくのがこわい。卒業旅行も、友人とのご飯の予定も、ぜんぶ終わってしまった。今のわたしはただ春の微睡みに落ちるだけのダメ人間でしかない

最近はほんとうにたくさん眠っている。10時間睡眠のあとに2時間ひるねして、どこか出かけるときの移動時間もほとんど眠っている。夢を見ることもほぼないから、ほんとうにただたくさんねむっているだけの人間になっている。まぶたの裏側の世界には何も映らない

 

いろんなものを取りこぼしているなと感じる。愛とか恋とか生殖とか、そういう人間の生存に関わる大きなものから、わたしが人間であるということを証明する人間らしさを縁取る輪郭まで、いろんなものを。取りこぼしているからといって戻って拾ったりはしないけれど、いつも曲がり角で見つけてしまう。取りこぼした愛も、言葉も、痛みも、ぜんぶ

もともと持っている言葉が少なすぎるので、言いたいことをしっかり表現できなくていつももどかしいきもちでいる。楽しいときに楽しいことをきちんと伝えられる言葉ならいくらでもあるのに、哀しいときにその哀しさが何色なのか伝えきれない。海の青と空の青が違うのと同じように、哀しいという当たり前の感情にもただの青だけじゃなくていろんな色がある気がするのに、いつもその色の名前がわからない

だれかのうみだした荒波に飲まれて沈まないようにとしがみついていたものは簡単に折れてしまいそうなほど脆い自己概念だった。意味のないものにとらわれすぎて意味のあるものをないがしろにしている。日常に花を添えたすぎて日々を丁寧に生きることに決めたけれど、そうしたら自分の中の善悪の基準が粗雑になって、わたしの日々の限界はこんなもんかって途方に暮れている

 

そういえば卒業旅行は伊勢神宮に行った。大学の同期3人と一緒に行ったのだけど、その中に、過去ちょっとだけ好きだった子(ほんとうは恋愛感情とかではなくて憧れに似た類いのきもちだった)がいて、哀愁ってひょっとしてこれのことなんだろうかと思った。これはきっと夕暮れ時の空の色と同じ青に近い哀しみだったと思う。その子のことを好きだった当時は顔を見て話せない、目を見られない、名前を呼べないのフルコンボだった。でも旅行からの帰り、渋谷でレンタカーを返してから30分ほど隣の席で同じ電車に揺られて帰る途中、ものすごく楽しくお話できてしまって、かみさまはいるのかもしれないと思った。このひととの縁を切らずにい続けることができてよかったなとほんとうに思った。ずっとうまく吸えなかった酸素をようやく取り入れることができたみたいな感じだった。卒業したらもう二度と会わないという確証があるけれど、でも、やっとともだちになれた気がした

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死ぬほど女々しい幻想に足を絡め取られて前に進めない。それはわたしが今まで否定してきた本能や感情と密接につながったものであるから、わたしはわたしをゆるせない。いちばんしたくなかった生き方そのものを具現化したような人間性がすぐそばまで迫ってきている。それは日常の意味のわからない場面でやってきて、わたしのいろんな機能をリセットさせる。すべてを無に帰してしまう。馬鹿みたいに素直に揺さぶられた自分自身の情緒がいままで生きてきた自分のアイデンティティのすべてを滅ぼそうとする

だれかのために無責任に祈らないということだけを頼りに生きてきてしまったせいで、だれかのために何かをしたり、自分のために何かをしたりすることが極端に苦手になってしまった。だれのためにもならない、何の意味もなさない大陸の上で、そこにいるかもわからない、存在するかもわからないかみさまのために祈っているのかもしれない。自分の未来や将来のために、だれかの感情を揺さぶるために、今を犠牲にできない。幸せに生きてくれと祈る資格も権利もわたしにはない。なにが相手の幸せなのかわからないのに幸せになってほしいなんて言えない。ある人生の裏側にはまただれかの人生があって、そのひとつがハッピーエンドならそのもうひとつの人生はバッドエンドだ

もうだめだ。わたしは最悪になってしまった。最悪だ。最悪なんだ。なにをどのように改善したら最悪じゃなくなるのか教えてほしい。最悪じゃなくなるまではわたしの名前を呼ばないで