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そんじゃここまでだ、さよなら

section-13

ただの独白です。日記みたいなものです。読んできらいになったらフォローをそっとはずしてください。わたし個人の価値観であり、考え方がこうであるというだけで、だからどうというものではありません。自分の中に放置しておくのがしんどくなったのでここに書いています。ご理解いただける優しい方がもしもいらっしゃったら、うれしいです

 

得体の知れない哀しみにつかまっている

小宮さんのお母さんが亡くなったとき、相田さんは彼のそばにいたのかな、とときどき考える。

子どもの頃、お葬式に連れて行かれても、火葬場の中には入れてもらえない子どもだった。だれだったかわたしのあまり知らない親戚の告別式で、子どもにとってはあまりにも長いお経を聞いた後、わたしだけが火葬場に連れて行ってもらえなかったことがある。わたしより小さい弟と妹は、父と母に手を引かれて火葬場の中に入っていった。わたしは斎場のひとに預けられ、火葬している間に親戚たちがお茶をのむ控え室みたいなところで、ひとりで絵を描いていた。親戚や親やきょうだいが帰ってきて一緒に1時間ほどお茶を飲んで、収骨するときもわたしだけ連れて行ってもらえなかった。親戚が多かったので大人になるまでに何回もそんな機会があったけれど、ずっとわたしだけが蚊帳の外だった。だからわたしはつい最近、18歳で祖父を亡くすまで、火葬場というのを見たことがなく、足を踏み入れたことがなかった

大人と言って差し支えないほどの年齢になってから、どうしてあのときわたしだけ連れて行ってくれなかったの、と母に何気なく尋ねると、「あんたは子どもの頃から他人の感情やその場の空気感を読みすぎてしまう子で、ああいうみんなが泣いているような哀しい雰囲気のところに行くとしばらくふさぎこんでしまっていたから」という答えが返ってきて、なるほどこの人たちはやはりわたしよりもわたしのことをわかっているな、とおもった

 

毎日あたまが割れるように痛くて、どうしたらそれを止められるのかわからないまま緑色のカプセルを飲み込んでいる。きちんと眠っているはずなのに体がだるく、何をするのも億劫で、何もかもが薄い膜の奥にあるような気がしている。ただわかるのは、自分の中にあるのが「哀しい」という気持ちだということで、具体的にそれが何に起因しているのか、何が哀しみをもたらしているのか、何もわからない

 

昨日のテレビ見て、小宮さんのことがこわくなってしまった

比喩でもなんでもなく、ただほんとうにそのままの意味で。わたしはテレビカメラの前の小宮さんと、ラジオの時の小宮さんと、出待ちや会館ライブのハイタッチ会で会う、他人の目に晒された小宮さんしか知らない。けれどこわくなってしまった

「クズ」とか「ダメ人間」とか「女好き」とか、そういうイメージを作るための演技なのかもしれないけれど、でも小宮さんはもともと男性が苦手なわたしの中の男性に対する偏見や差別をそのまま具体化したような人だと思う。小宮さんは、女の人が好きなんだと思う。正確には、女の人の身体が。キャラなのか、本性なのかわからないけれど、そういう雰囲気がすごくある。それが、全く無関係なのにわたしを不安にさせる

テレビの前で応援するだけの、そして時々ライブに行くだけの人間がこういうことを言うのが、どれほど図々しくて的外れなことなのかはちゃんとわかっている。それから彼に期待するものなど何もあってはいけないということも。でも、何でかわからないけど哀しくて、ここ数日ものすごく落ち込んでいた

ずっと応援するって、なんて大変なんだろう。なんてしんどいことなんだろう。姿のつかめないだれかや何かを断続的にずっと好きだったことがないから、不慣れなだけなのかな。それともジャニーズでも、それ以外のアイドルでも、俳優でも芸人でも、だれかを長く好きでいる人はみんなこんな気持ちになるものなのかな

今の自分がいちばん大切にしている人たちのことですらうまく信じられない。わからない。見えないし、聞こえない

 

わたしが感情的になりすぎているのかもしれない。のめり込みすぎているだけなのかもしれない。だからこんなにしんどいのかも、何が決定的な要因なのかわからないけれどメンタルがズタズタで、イエローの時もぼーっとしてしまうことが多くあった

 

いつかだれかが、人は哀しみだけで死ぬことができる、と言ったらしい。確かにそうだと思う。人間は哀しいという感情に食欲を奪われ、気力を奪われる。哀しいという感情だけで死ぬと思う